終わらないエロゲーという幻想

この前にスマガの記事でメタ構造を有したゲームについて書いたのですが、自分がそれを書くにあたり前提としているものが抜け落ちていた。先の記事に挿入することも考えたのですけど、それをすると記事の主従が逆転してしまって、趣旨の不明瞭さが増すだけなので別に書きます。
「終わらないエロゲー」というのは、ビジュアルノベルまたはADVという形式で作られた作品というのは、基本的に全てメタ構造を読み取れてしまい結末の恣意性が滲み出てしまうので、恣意的ならば終わらせる必要がないという発想から生まれる妄想のことです。*1
別の言い方をするなら、起承転結や完璧なハッピーエンドなどは物語の結末の必然性を紡ぎ出す要素ですが、あくまで内部的な要素であって、メタ視点に立った読者にはその必然性が無効化されてしまうということです。
この話は調べたら、かなり前にネット上でも展開されてるらしくて、この記事なんかはそういうことだと思うんですが、自分なりに何か付け足すとするなら、結末の恣意性というのは全ての物語に付きまとう問題であって、エロゲー固有の問題ではないと思うんですよ。*2
その中でエロゲーが特にそうであるのは、エロゲーというのは基本的にクリックを行って物語を進行していかないと、初めから終わりまで既に文字列が存在している本という形式と違って、作品が完成しないように感じるためだと思います。それは当然、錯覚に過ぎないわけだけど、ビジュアルノベルまたはADVという形式で作られた作品は、その錯覚から逃れることが出来ない。つまり、プレイヤーは常に物語にメタ的に介入しているように感じられてしまう。これが「終わらないエロゲー」という妄想を生むんだと私は考えています。
そして、作品内で示されるプレイヤーを含んだメタ構造というのは、その感覚を前面に押し出してしまうので、『スマガ』のような作品においては、それを隠蔽するような方向が良かったのではないか、というのが前の記事で言いたかったことでした。
後で直すような気もする。

*1:自分語

*2:二次創作ってある意味ではそういうことでしょ。