妖怪と小説家

妖怪と小説家 (富士見L文庫)

妖怪と小説家 (富士見L文庫)

一般論として、小説家と読者の蜜月というものは長くは続かないものだ。長年一人の作者の作品を追いかけている場合、読者は往々にして作家が売れればある種の承認を得たことで作風が変わってしまったと文句を言うし、作家が売れなければ正当な評価を得られないことによって屈折が生じてしまったなどと賢しらなことを嘯く。結局、二人の独立した人間がいるだけで、何か同じ価値観を共有しているという感覚そのものが甘美な幻想に過ぎないというだけの話ではあるのだが、それを百も承知で感想を述べるなら、近頃の野梨原華南は押しつけがましさが増していると思う。
『イバラ学園王子カタログ』における最後の総括の艶消し振りを読んだときは、編集の求めに応じて敢えて台詞で語らせたのだろうと勝手に思っていたのだけど、今作の菊池寛宮沢賢治の台詞における直接性を見るに、より分かりやすく多くの人に伝わるような形を作者としては追及しているということなのだろう。
ただ個人的な意見を言えば、野梨原華南の最良の部分というのは

「本当ですとも。さあ、お化粧をして、綺麗な服を着て、おいしいものをたべて、音楽を聴いて踊って、陰口をたたかれてしまうぐらい楽しく生きてしまいましょう」

『妖怪と小説家』 伍より

という一連の部分に代表される極めて善性の高いメッセージを物語の中に溶かし込むことの出来る希少な才能なのだ。紅茶に限度を超えて砂糖を入れたときのように、あまりに直截な表現は溶けきらぬ口当たりの悪い部分を残してしまうような気がしてならない。もちろん、上述の全てが作品に選ばれなかった人間の恨み言に過ぎないわけだけれど。