雑記その2

異世界はスマートフォンとともに。1 (HJ NOVELS)

異世界はスマートフォンとともに。1 (HJ NOVELS)

異世界はスマートフォンとともに』のアニメ版一話の蔑称に「虚無」というのがあって割と優れた感想だなと思ったというか、必ずしも「小説家になろう」に連載されている原作は純粋に「虚無」的な物語ではないのですが、あのアニメの中には「なろう」が生み出した独自の表現領域が映像化されている気がしたので、ちょっと書きます。
二年ぐらい前に言語化しようとして意味不明なポエムに堕したことあるんですけど、今なら24分の中にその一部が宿っているのでズルしてしまえば、なろうにおける最大の問題は「あれ」です。
現象面から緩く記述するなら、いわゆるテンプレ展開にテンプレ展開をつなげて更にテンプレ展開を。という風に無限コンボを形成すると、何故か脳みそが勝手にそれを「虚無」と認識して、テンプレ展開以上の意味が物語を覆うみたいなことです。
もちろん、テンプレをテンプレと認識するには読者側の予備知識が必要なわけで、作者がコンボをつなげたつもりでも読者側ではコンボが成立していないということも多々起こりうる偶発的な現象です。ただ「なろう」というプラットフォームに集う読者相手ならば、ある程度まで狙って起こせる技術の領域の話になりえます。そして技術である以上は良し悪しがつき、なろうのランキングシステムがその洗練を後押ししていく。
結果として、ある意味ではとてつもなく「薄っぺら」で「軽い」小説たちが生み出される。けれど、この小説たちは厚みを持とうとして失敗したわけでも重さの意味を取り違えたわけではなくて、最初からそこから離れようとして今の形になっている。だから「薄っぺら」も「軽い」もそれだけでは性質の記述であって、その奥に潜む異世界めいた何かにまで目をやらないと真の意味で向い合ったことにならない。
しかし、その何かの正体は?とたずねられれば答えるのは極めて難しい。この「軽薄さ」はあくまで技術の問題であって思想に裏打ちされたものではないし、ランキングという名の共同化された欲望の底を漁るのは私の手に余る。だからズルを重ねて他の人の意見を借りると

「人間はどうしてテレビ(アニメ)に出ないの?」
「人間は失敗するし打たれ弱いから使い勝手がワルいんだってさ」


『惑わない星』 第四話

がかなり正解に近い気がする。もちろん否定されているのは現実世界にいる私たちではなく、物語世界の「人間」ということになるでしょう。「重厚さ」というのは物語の中で「人間」を表現するためのテンプレに過ぎず、「人間」が否定される物語では必然「軽さ」や「薄っぺら」が肯定的な価値を持ちうるという寸法です。
あらゆる物語は人間のために書かれているのに「人間」を否定するなど意味不明だという意見もあるでしょう。だけれども私たちの大半は気がついているはずです。人間は「人間」のように生きることなど出来ないと。偽りにまみれ悪をなす醜い私たちと「彼ら」の間に相似があるなどご都合主義の妄想であると。

彼らからすればこちら側こそが語るに値しない「虚無」なのだ。とかそんなお話。*1

*1:転トラの無い世界で物語の「重力」から逃れるのは今のところ空想科学じみたお伽話ではある。