ヤンデレ小話

当初書こうとした内容は、視点キャラクターに如何に身体性を獲得させるか。あるいは『腐り姫』において五樹は如何に心中可能になったか。というものだったんですが、どうにもならなかったので放棄。
結局、自分はエロゲーで視点キャラクターに感情移入しないタイプなので、そこら辺の機微が分からないんですよね。視点キャラクターが傷ついても、プレイヤーは痛くないという状況が、ある種の楽しみ方を妨げることは想像に難くないんですが、やっぱり実感が無いと限界があります。
念頭にあるのは、当然この記事なんですけど、同種の論調がツンデレブームの時にも小規模ながらにあったと記憶してます。
エロゲーの「お約束」に縛られているキャラクター群から帰納した場合と、コンセプトから演繹した場合で、規定している枠がずれる。しかも、「お約束」は説明しにくいので、定義として後者が優勢なってしまう。まあ、予測できたこととは言え、一ヤンデレスキーとしては微妙な心持になるところですね。
そこら辺を突き詰めると、キャラクター属性に物語上の進行要素を加味するというスタイルの功罪ということになりそうですが、ヤンデレから中心がずれるので自重します。


「今更ながらヤンデレについて」という記事を読みまして、ヤンデレの魅力を語るのにこの種の文脈は必要無いんだなと、昨日の時点で感得してしまったので、この記事は打ち切り。
結局、私個人の方がキャラクター属性に余計なものを加味してたという笑い話ですね。反省。

「今更ながらヤンデレについて」は整理された良い記事で、ヤンデレという概念の元になった素材の多くには、こういう「お約束」と戯れる的な性質があったとは私も確信はしているのですが、記事にもあるように、かなり限定した用法で使わないといけないことを自覚させられました。
まあ、負け惜しみで書けば、書かれているほど綺麗な対応関係が、アニメとエロゲーの間に描けるかは疑問ではあります。エロゲーはアニメの何倍も自分の仕組みに敏感ですから。