新・邪悪ヒロインという可能性

去年、唯一ブックマークを貰った話題を掘り返してみる。
前にも書きましたが、もはやヤンデレも時代の最先端では無いようです。まあ、ヤンデレという言葉が物語展開の一つのパターン付けられた名称である以上、ツンデレと同じく凄まじい速度で消費されるのは自明ではありました。命名された時点で陳腐のレッテルを貼られているようなものですから。
けど最大の問題は、ヤンデレという言葉の意味性と、それに表象されるとされたキャラクター群が、乖離してた事実ではないでしょうか。
そして、私も含めて多くの人がその事実に気づきながら、出来つつある流れに身を任せてしまったように思います。
ヤンデレのキャラクターの魅力を説明する時に、狂ってしまうほどの愛情という表現形態なのだ。という言説が存在します。私はADVをやるときに主人公に感情移入しないタイプなので、実感はわきませんが、理解は出来ます。
だが、ニコニコでスクイズの最終回を見れば、主人公に自己同一化してる人間はほとんど存在しないように見える。だけど私達はそこに暗い喜びを見出しうるし、そのことはアニメ版前とは言え、ヤンデレ大全での桂言葉の人気が証明している。
たぶん、私達が共有した後ろめたい喜悦の根本にあるのは、キャラクターの魅力ではなくて、製作者の創意工夫という名の悪意だ。
空鍋にしろ鮮血の結末にしろ、似非ハーレムゲーに対する反発なくして存在しえない代物である*1
ヤンデレというのは、その反発からくる創意工夫をパターンとして陳腐に消費するという側面が、見たくないところからは目を逸らす詐術が存在する言葉だったように思う。
それ自体はブームを産む戦術として成功したわけだから、誉めこそすれ貶すいわれもないけど、ブームも収縮した今、わざわざ窮屈な言葉を使う必要もない気がするので、適宜分類し直したらどうでしょうか。

*1:前者はサブヒロインと出来るし、後者は叔母風呂作品だからね。