受け手の一人として思ったこと

「ダメ書評」に対するマンガ編集者の視線を読んで、書評を書いてる人間の一人として省みるところもあったけど、この話は萌え理論Blog-ダメプロに対する客の視線の記事にあるように、一方的に都合が良すぎるよね。
創作という行為がメンタル面と深い関係があることは誰だって否定しないけど、普通に社会人を見まわせば、メンタルと完璧に切り離せる労働に従事している方が少数派だろう。
例えば、ケーキ屋でレジを打ってたら、理不尽なクレーマーがやって来て精神がボロボロになるほどの罵詈雑言を言い放ったとしよう。その時、レジ打ちに一瞬で立ち直れというのは確かに酷な話である。しかし、それが原因で一ヶ月店を休んだり、仕事がずっと疎かになったとしたら、店を解雇されるはずだ。
これをそのまま創作を生業している人間に当てはめるのは暴論だと言う意見もあるだろう。創作者は統計的に一般の人間より感受性が強く傷つきやすい人間達の集まりだから、皆さん気を使ってくださいという訳だ。
そうなのかもしれないけど、気を使う必要性は感じない。だって、作家のメンタルに左右されのが嫌なら精神力が高い作家を出版社が探してくればいいわけだし、それでは事業が成り立たないというなら、事業から撤退して外食産業でも始まればいい話だ。
比較的に精神力が低い創作型の人間に手を尽くして作品を創造させて、間に入って金を取るというビジネスモデルなんだから、作家のメンタルに関するリスクは出版社が全面的に背負う。これで何か問題あるのかな?


いい子ぶると、編集者と作家という人間関係を考えれば、そういう論陣を張りたくなる気持ちは分かる。けど、作家が使い物にならなくなって誰が得するのか。と聞かれると、一番損をする人達を探したくなる程度に汚れている自分がいます。