朝色の議論に関する補足のようなもの

去年にあった議論の追記のようなもの。先に逃げを打っておくと、かなり電波。
このゲームをプレイした人なら、松波さんの解釈が常道であって、私の主張がいびつなものだということは自明だと思う。ほぼ間違いなく朱門優はかなり一義的に解釈が可能な物語として朝色という作品を作っている。そこでは「優しさ」の内容もかなり限定することが出来るものだし、その内容は私が主張したようなものではない。
それでも自分の意見を擁護するのであれば、私の解釈はオーソドックスなエロゲのスタイルが孕むある種の構造から半ば自動的に発生するようなものだということだろう。
議論の対象になった選択肢群において、主人公である崇笹丸にはある種の選別がなされる。もし朝色を通常の物語的な規則で読むのであれば、これは起承転結の途上、そこに未熟な崇笹丸がいただけだと読むことが出来るだろう。
しかし、エロゲ的な規則に従うのであれば別の読み方もまた可能になる。何故ならば崇笹丸はエロゲの主人公だからだ。エロゲの主人公は小説のそれとは全く違った形で物語に関わることが可能である。エロゲーマー界隈では、その関わり方にまつわる読解方法を「遡及的過去形成」と呼んでいたりする。
この言葉は通常ヒロインの救済を巡る問題とリンクされて考えられがちだが、見方を変えれば、選択肢を通して物語全体を揺るがすことが出来るような主人公の在り方の問題だとも言える。何故なら基本的にヒロインは遡及される過去の客体に過ぎないからだ。
先に断わっておくなら、これは決定論か不決定論というような話とは関係がない。私が問題にしているのはエロゲにおける主人公というものの多くが、それ妥当であるかはさておいて遡及的過去形成という解釈を可能にするような指標としてエロゲに中にいるということである。
この選択肢群でそのような解釈を行うなら、笹丸の選択の結果は彼の悲惨な過去と直接リンクしたものと捉え直すことが出来る。
「彼の過去の全ては、まさに今ここでこの選択を行うためにこそあった。」
上記のような解釈は言うまでもなく、作中の時間に反したあまりにも超越的なものだ。だが、このような視点で見たとき*1、崇笹丸は言ってしまえば、世界のために正しく間違えることを求められていたことになる。そして、このような犠牲の上にしか成立しない「優しさ」とは何かというのが私の最初の主張ではあったわけだ。
この主張はそもそも朝色の作品把握において、あまり有用なものではない。私の主張が仮にも有用性を持つのは、俗にKanon的問題と呼ばれるような、かなり狭い領域の中だけだろう。*2だがおそらく、朱門優にはその問題意識があった。そして、私が主張したような領域にはそもそも関わり合わなかった。だからこそ、不用意にそういったものの影を引き寄せてしまったようにも見える。まあ、そんな感じ。


ひどい尻切れをしました。時間を置きすぎて、当時の自分が何書こうとしてのか不明瞭なのですが、朝色に幻視したものを見極めるために影の国へと潜らなければ、みたいな華麗な振りが入るはずだったような。

*1:この後に選択肢は一つも存在しない。

*2:どの程度のバリエーションまでを内部するのかは謎だけど。