『クドわふたー』と『リトバス』について少々
- 出版社/メーカー: KEY
- 発売日: 2010/06/25
- メディア: DVD-ROM
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『クドわふたー』というエロゲーを端的に要約するのは、なかなかに難しい作業だと言える。ある側面で言えば、これは消費者のニーズに応えたクドリャフカといちゃらぶする作品でもあるし、別の側面でいえば『リトルバスターズ』におけるクドルートの展開形でもある。更に加えるなら、これまでの鍵作品との関係性も無視は出来ない事柄であり、それを全て拾い上げるのは実に骨が折れる仕事だ。
正直なところ、私はクドに性的な魅力を全く感じないので、全体についての語りは他の人に任せることにして、自分が気になったことだけを書いていくことにしたい。
かつて私は『リトルバスターズ』のクドルートをこのように書いているが、『クドわふたー』をプレイした後で見るなら、読めていなかったと評価せざるえない。もちろん多少は使えるところもある。
個別ルート前半で提示されるクドリャフカの多重国籍者としてのアイデンティティの問題を放棄して、唐突に過去の贖罪というメインテーマが現れる
これは、『クドわふたー』の最初の方でクドが無理解に「外人」呼ばわりされても、自分の中だけで上手く処理できるようになったという描写と対応しているように思える。何故なら、この後でクドのこの問題が直接的に描かれる場面はないからだ。ナショナル・アイデンティティの問題の存在だけは示しながら、その問題の解決には決して踏み切らない。この処理をかつての私は
個人と国家の関係は物語りえない
からだと考えたが、これは明らかな錯誤だった。それは「クドアフター」においてクドが如何にしてアイデンティティの獲得に成功したかを考えれば分かる。そもそも、この二つの物語において国家など真の意味で重要なファクターではなかったのだ。クドが自らが帰属すると考えるものは、そのような所与の制度や機構のことではない。それは「帰るべき場所」であり、にも関わらず自らの手で前方に作り出していくしかない何かのことだ。*1
クドの見出したその「場所」は、有月家に起きた出来事の中に象徴的に表れている。この母子3人からなる家族は、夫との離婚とそれによる経済状況の悪化から崩壊の危機にある。それを解決しようと元夫に連絡するが全く音信はなく、母子は3人だけの新たな結束を固めることに成功して、物語的には幸せな結末として取り扱われる。
ここには大きく二つのことが示されている。一つ目は、失われたもの(かつての円満な家庭)は決して戻ってこないということ。二つ目は、たとえ失われてしまったものでも、別の形(母子だけによる暖かな家庭)で作り出せるということだ。*2
アフターにおいてクドは決して、そのように行動したわけではない。クドはただ諦めずに前に向かって手を伸ばし続けただけだ。ただ、私たちには別の感想がありうるだろう。クドは失われてしまったたものを己が手に掴みとり、「帰るべき場所」を見つけ出した。わずかな差異がこれほどの結果を生むなら、私たちに奇跡が降り注ぐことも無くは無い。そのビジョンが希望なのか絶望なのかは人によるだろうけど。
自分でもビックリするほどろくでもない文章で、クドと理樹がチュチュすることが、どれだけ作品にとって重要であったかを再確認した次第。片方を落とせば、どうとでも書けるという典型例ですね。
私にとってのクドは、丘の上から空を見つめている彼女の絵なのだ。と下種い言い訳をしてみる。次は真っ当なのを書きたい。