彼女の隣

クローバー (IDコミックス)

クローバー (IDコミックス)

たまには漫画を物語以外で語れというお告げが来たので、やってみたいと思います。慣れないので短い短編を選びましたが、それは勘弁して欲しいところ。
これは乙ひよりの『クローバー』の中にある一編で、読めば誰でも分かることですが、主人公のちょっとした変革の話です。
作品は主人公である女子学生の橘卯月が、終点近くの誰もいない電車の中で一つの願望を達成しようとするところから始まります。その願望というのは、電車の上部にある荷物置きに寝転がってみたいというものです。
ここで重要なのは、誰もいない車両というシチュエーションでしょう。もしその場に一人でも人間がいたら、卯月の行為の意味は変わってしまいます。それは明らかに他人を不快あるいは不安にさせる行為だからです。ですが、誰もいなかったらどうでしょうか。確かに電車はそのような乗車を前提に運行していませんから危険ではあります。しかし、それは言ってしまえば彼女の自己責任であって、自分でリスクを推し量ればいいだけの話です。そして、この行為は明らかにリスクに見合うものとは言えません。
それでも卯月は登ろうとします。何故か。それは荷物置き場に登るべきではないからです。おそらく、彼女は人生を通して電車の荷物置き場に登るべきではない。と誰かに言われたことはないでしょう。それにも関わらず、彼女は登るべきではないと分かっています。理由は簡単です。登るべきではないものは、登るべきではないからです。
誰にも迷惑をかけないのに守るべきルール。自分の行動を縛る透明な鎖。暗黙裡に定められた限界。それが彼女が密やかに乗り越えようと思ったものの正体でした。
ですが、卯月の試みはもう一人の主人公である桜井志穂の登場で失敗に終わります。志穂は何故に卯月の行為を邪魔するように現れたのか。それは卯月には願望はあっても覚悟が無かったからです。
卯月の学校に転校してきた志穂は

言いたくないから、言わない

という台詞に象徴されるように、周りの人間よりも自分の価値観を大切にする人物でした。当然、その行為は周囲との軋轢を招きますが、彼女はそれを嫌がりつつも受け入れています。もしルールを破ってしまったら、それがどんな些細なものでも、何らかのリスクを引き受けざるえない。*1彼女はそのことを理解しています。それもまた一つのルールに過ぎないとしても。
志穂の挙措はとても魅力的ですが、同時に多くのトラブルをもたらしていきます。彼女は先達として卯月にリスクを告げる存在なわけです。その上で卯月はリスクを受け入れる道を選びとります。

ただキレイだったから……

卯月のこの台詞には一種の難しさがあるように思います。彼女の決意、作品の最初に描かれた願望には志穂の存在がありません。その意味で、彼女は自分のためにこそルールを破ったのだと言えます。ですが同時に、校則違反は志穂のマニキュアを用いて行なわれている。ここには志穂との関係が強く打ち出されています。この二つの動機は平行していて、一つに統合されえないものです。*2
これを人間の複雑性のような視点から考えるのは、たぶん間違っているでしょう。むしろ「彼女の隣」という作品は、この二つの動機を一つの台詞に流し込むように意図して構成されていると考える方が良いと思います。
つまり、変革は自分のためにこそ行なわれなければならないが、その結果として生じるリスクを自分だけで抱える必要は無いということです。*3彼女たちはまず先に自律した存在としてあり、その上でリスク分散のための互恵関係が生じる。*4ここには相互依存や悲劇へ通じる悲壮感はなく、現実を処理するしたたかさがあります。
作品の最後で卯月は初志を貫徹します。そこには背中のいたみ(リスク)が存在しましたが、それも志穂となら悪くない。これはたぶん、そういうお話。

かなり野暮かったような気がする。足りないものを実感したという意味ではよかったかも。今月は四回更新したいものですね。

*1:例えば、車両に入ってきたのが志穂ではなく一般人だったら、学校への苦情程度は覚悟しなければいけない。

*2:卯月の内部で区別されているという意味ではない。

*3:これは卯月の側から話だけではなく、当初から志穂の方はそのような相手として卯月に関心を寄せていたと見れる。

*4:乙ひよりの作品世界においてリスクはとても抑制されたものとして描かれるのが常だが、絶対にゼロにはならない。