姫宮アンシーという憂鬱
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姫宮アンシーを称して榎戸洋司は「現実」と名づけたわけだが、一つの人格の中に「現実」を体現するとは、捻じれているということだと私は思っている。それは正常ではないという意味において、壊れているという状態では確かにある。しかし、数ある壊れ方の中でもっとも美しいものは、擦り切れるでも、歪むでも、削れるでもなく、捻じれるではないだろうか。
私達は、現実の何かが間違っていると感じるが、それが具体的に何かと尋ねられたら、答えることが出来る人はほとんどいないだろう。もちろん、原因はさまざまにあるにしても、その一つの原因として捻じれというものを挙げることは可能だろう。個々の局面は、何ら問題を感じさえないままに、総体として壊れているというのは、一種の芸術品のような在り方であると私は思う。
王子のために自らを犠牲にするという殉教者に始まり、薔薇の花嫁という名の魔女に至るという倒錯、彼女はそれを否定することなく受け入れている。受け入れることが何故に可能なのだろうか、それは彼女が王子への愛に殉じたからだ。ここに終わることない循環は完成し、姫宮アンシーは生れ落ちる。この捻じれた永遠の中で、姫宮アンシーが何を考えていたのか。
その褐色の肌が物言わぬ他者というオリエンタリズムの隠喩である以上、彼女の奥は男には開きえぬ迷宮である。だが、それがいい。