二次元における美醜という概念について

ネタ元はこの記事なんですが、私はこれを読んでる時にちょうど『true tears』を見てたんですね。
リンク先で展開されてるのは、主に西又葵の絵をめぐるディスカッションで、これ自体かなり面白いんですけど、私は少し本筋からずれたところが気になったわけです。それは『true tears』という一人の人間がキャラクターデザインをしたアニメにおいて、作品内のヒロインたちの美醜の差を読み取れるのか、読み取れるとしたら、そうするべきなのか、ということなんですよ。
先に言ってしまえば『true tears』においては三人いるヒロインの顔面には差があるようにも読めます。どう読み取るかといえば三角測量をすればいい。基準点は主人公とヒロインあるいはモブキャラとするのが妥当かと思います。
このアニメにおいて主人公は、初恋の人である比呂美のことを思いながら、乃絵という別の女の子を好きになり、その最中に親友の彼女の愛子からも告白されるという夢のようなシチュエーションを経験するんですが、前の二人との関係とは違い、愛子にはキスまでされてるのに早い時点バッサリ切るんですね。ここから、親友の手前というのも込みでしょうが、愛子が主人公の好みではないという読みが成立する。
別の観測点から見ると、比呂美は主人公に近づく乃絵には警戒を寄せながら、愛子は歯牙にもかけないんだよね。ここから、比呂美と乃絵に比べると、愛子はそこまでではないと読める。
比呂美と乃絵の場合はここまで明確には示されてないんだけど、比呂美の性急な反応とか、比呂美と乃絵の会話、色々あったとはいえ乗り換えの早い主人公などを統合すると、少なくとも同等で、たぶん乃絵の方が美人なんだと読める。
この読み自体は、湯浅比呂美というキャラクターに対する自分なりの理解に準拠しているところ大なので、空論の上に空論を重ねたものに過ぎませんが、たとえ顔が同じでも質の高い脚本があればキャラクターの美醜の差を各々で推測することぐらいは可能なわけです。
それで、こういう読みを走らせながら、全13話を鑑賞した私の感想を言うと、これは二週目以降の楽しみ方ですね。一週目のアニメを見るときは、デザイン通りにみんな同じくらい可愛いと思って見た方が楽しいよ。だって物語における恋愛の最重要は、精神であって肉体ではないんだから。
なんか非難してるみたいでアレなんですが、そういう意図は全くなくて、萌えヲタの戯言なんで適当に流して下さい。『true tears』の感想を真正面から書ける筆力がなかっただけの話です。
あと『true tears』は上質な青春群像劇なんで見てない方は是非、お勧めです。