ルルーシュはマザコンなのかファザコンなのか問題。


この記事のコードギアスのところを読みつつ、感じ方は人それぞれだな。と思ったのですが、やはりルルーシュの本質はマザコンではなくファザコンにあると主張したくなったので、記事を書いてみます。
けどググったら、マザコン派の方が断然多いんですよね。本質的な問題として男のファザコンについての理解が少ないというのも有るのかもしれません。ホリエモンとか個人的にはそうだと思ったりはするんだけど。
「死んでおるギアス」 未来私考を読めば、ルルーシュにとって父親がどれほど大きいかが分かるとは思うですが、別の切り口を考えるなら、ルルーシュの対立軸であるスザクに目を向けるのもいいかもしれません。
スザクの過去には母親の存在が皆無で、殺した父親の話しか出てこないんですが、これはルルーシュの本質がマザコンだと設定されているとすれば奇妙なわけです。ルルーシュにとって母親が重要な要素だとするなら、その跳ね返りとして、スザクの母親のエピソードが一つくらい存在しないと対立関係が崩れてしまいますから。

  • 先日ここに、クロヴィスが殺されてコーネリアが生きてるのは、ルルーシュの中での優先順位の問題なんだという旨のことを書いたんですが、説明が足りなかったので長々と補足という名の言い訳を。

この話は、源流まで戻れば『デスノート』の解釈の話だったりもします。実写映画版の後編で夜神月は父である総一郎に延々と自分の気持ちを告白するわけです。これは月がファザコンであると原作から解釈した結果だと言っても、特に問題ないでしょう。
私もこの解釈には賛成で、原作の最後においてすら月の中では父親に対する愛が存在したんだと思うし、これなくして新世界の神への道は存在しなかったと考えてるんですが、ここを詳しく説明するのは後にして、父親に深い情愛を持ちながら、現実において逆にすら見える行動する人格というのが、観念可能なのだと考えてください。
そして上記の屈折した人格モデル無しに、ルルーシュの心因を整理しきれない。という結論に友達とメールしてて達したんですが、そこに至る経路には飛躍もままあって、説明しきれないので、いきなり「女の皇族は、ルルーシュの中で父親の寵を争うレースに参加できない」とか電波なことを書いたわけです。
まず説明を試みるとすれば、ルルーシュは別に目的のためなら手段を選ばない人間ではないんですよ。これはスザクが手段のためなら目的を選ばない人間でないことからも補強されると思います。ルルーシュはユフィの件からも分かるように、自分のしたくないことはしないで済ませたい人で、マゾと称されるスザクとの対比が際立つ部分でもあるんですけど、これをどう解釈するかが割れるところでしょう。
スザクの反復から考えるなら、スザクを救うのはユフィなわけですが、ユフィの開いた道というのは正しい「過程」の上の作られたものではない。行政特区の提案だって総督であるコーネリアを通さない、「結果」オーライな方式なわけです。つまりスザクにとって本当に必要なのは、正しい行為をひたすらに積み上げていくという「過程」ではなくて、その「過程」を元に何を築くかなんだよね。イメージとしてはスザクがやってるのは積木遊び。
だから逆に「結果」を重視するルルーシュにとって、救いはむしろ「過程」の中にあると言い切った瞬間に一種の逆転が起こります。だってスザクよりルルーシュの方が面白おかしく日々を過ごしてることを、視聴者は知ってるわけなんですよ。
私達が楽しいから、ルルーシュも楽しそうに見えるのであって、ルルーシュの内面は荒んだ孤独な魂なんだと解釈することも可能だし、そうであるなら彼はマザコンでしょう。反逆というのは何処かに自己肯定を得るまでの苦行なわけです。
けど私にはルルーシュにとって反逆というのが苦行であるようには思えないので、自らを神にまで祭り上げられるファザコン型の人格モデルを提案したいわけです。私のイメージとしてはルルーシュは切り絵遊びしてるんだよね。自由に紙切ってる時が一番楽しい感じ。

父親と距離を置くような厳格な家庭で育った場合、厳しい父親に表面的な愛情表現をされないまま成長してしまったために、その欠落感を埋めるために父性的なものに憧れ、ファーザー・コンプレックスが形成されるとされる。

また、父親が人生初期に死んだ事や離婚などで不在である事で、父親が理想化されることなどによっても形成されることもあると言われている

Wikipedia 「ファーザー・コンプレックス」

という概論を引いてみたんですが、別に心理学の話をしたいわけでもないし、ここで重要なのは「父親の理想化」なのかなと思います。
脳内にいる父親と自分との関係が、凄く大切なんだよね。この関係に一番近いのは、恋に恋するというヤツだと私は考えてるんですが、実際に父性は不足してるわけですから、その不足は脳内では補えないわけですよね。だから何をするかと言えば、ひたすらに脳内にいる父親を愛するわけなんです。そして報われないと分かりつつ父親を愛する自分に酔いしれることで、満たされない自分を誤魔化す。
もちろん、あるレベルでは本気で父性の不足を補いたいと願ってるし、それも嘘ではない。けど実際には、報われない悲恋に身を焦がす乙女のように、自己陶酔に浸ってるわけです。
この構造がルルーシュにも当てはまる気がするんだよね。ルルーシュは確かにブリタニアを壊すことで失われた父からの視線を取り戻して、「父越え」みたいな正常な親子関係を手にいれたいと希求しているでしょう。
ですが同時に親子関係を取り戻すために反逆している今現在から、人生で一番の快楽を引き出してるわけですよ。
ルルーシュの問題を複雑にしているのは、脳内と現実の父親に誤差がほとんど無いことなのかなとも思う。例えば『ラブ アタック!』の最後で皇帝は戦争なんか馬鹿のやることだ。とナイトオブワンに言うわけだけど、これはルルーシュのことを全く評価してないということなんだよね。これは脳内の父親としては完璧に近いわけですよ。何やっても振り向いてくれないからこそ、安心して愛せるわけです。*1


何がしたかったかと言えば、ナナリー敵対後のルルーシュの内面が自分では掴めなかったので、新しい優先順位を構築しようと思ったですが、自分で掘ったデスノ解釈の穴にズッポリ嵌って動けなくなった感じがする。
まあ、理解に補助するためのモデル過ぎないんで、そんな感じです。
もちろんC.C.は、ルルーシュにとって母親的な存在なのは間違いない。けどそれは前提な気がする。母親の愛が目的なわけではなくて、母親に愛されることこそが、父親と向かい合うために必要な条件なんじゃないかな。


やっぱり男のファザコンは説明しにくいですね。ルルーシュから滲み出る永遠に満たされない感じとか、破滅の気配は、男のファザコンの自覚症状だとは思うんですが、表に出にくいからなぁ。
適宜直すかも。

*1:だから劇場版の最後で、月は認められないと知りつつ心情を吐露できる。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」。