『デスノート』から『コードギアス』へ

コードギアス』くらい押さえとくべきなんだろうなぁ。と思い、日曜の再放送を観賞してたんですが、結局我慢できなくなってTUTAYAで最終話まで借りてしまいました。
全体としては、凄まじい投げっぱなしを含めて中々面白かったですね。見る前は、アニメ版『オメガ・トライブ』だと勝手に思ってたんので反省しなければいけません。*1
この作品は『デスノート』を当然に受けて作られているわけですが、その受け方のナイーブさが凄く自分の印象に残りました。
ここで問題になってるのは、実のところ「倫理」なんじゃないかと私は思うんですよ。
つまり、一人の人間が生きていく時に、その善悪とは全く関係なく人を傷つけざる得ない。だけど、その環境から降りようとしても、ユーフィミアみたいになるだけで、とても正解とは言えない。
だからこそ、自らにとっての「倫理」が、他の何よりも大切なんじゃないか。そういう内省的な所に焦点が合ってるような気がしました。
なんかこう書くと、自分のルールを他人に押し付ける風な感じがしますけど、根底にあるのは逆なんだと思う。
ここにあるのは、セカイ系の初期より更に深くなった生に対する疑念なんじゃないかな。
セカイ系の初期というには、セカイにおいてどう生きるべきなのか、という問いがあって、優しく生きろ、という答えを発信してた気がする。
それに対して今の問いは、セカイにおいて何故生きるべきなのか、というもので、たぶん答えは存在しない。
だから、物語は唐突に閉じざるえないのではないかと、むしろ不完全さそのものが答えなのではないかと、そんなことを『コードギアス』を見ながら考えた。

*1:『オメガ・トライブ』は、ある種の過渡期にある面白い作品だとは思うんですが。