ラノベに見る邪悪ヒロインの不可能性
- 作者: 神楽坂淳,鈴羅木かりん
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/01/25
- メディア: 文庫
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健全に覇道を行くというか、続きものなので断言は出来ませんが、狂気に似た何かが足りない感じです。まあ、邪悪ヒロインをメインにラノベ書くとか、それこそ狂気の沙汰なので別に本気で期待した訳ではありませんが。
ですが近頃では、それこそ決断主義とか言って、割と純粋に権力を称揚する傾向が、全体的にはあると思うんですよ。*1
とするなら、主人公は無理でもライバル位に邪悪ヒロインがポンポン出てきても変ではないはずです。ですが実際の話ではそれほど見かけません。あまり権力志向が露骨なのは邪悪ヒロインとしてどうかという意見もありそうでだけど、個人的には好きなので、そういうの見たいですよね。*2
それで数の少ない理由をアレコレ考えてたんですが、一つ思いついたのが、邪悪ヒロインの鑑賞法が、流行と会わないのかなということなんですね。
はてなの定義にもあるように、邪悪ヒロインは邪悪でありながら純粋であるという二律背反的な存在なんですが、それを可能にするのは受け手の見方だと思うんですよ。
つまり、キャラクターが選び取らなかったものに注意を向けるという、ある意味でとてもエロゲー的な見方。選び取られなかった方に実りが多ければ多いほど、邪悪ヒロインの選択の一貫性であり、純粋が際立つという図式。一概に全てがそうだとはとても言えませんが、こういう形式が邪悪ヒロインを演出するに当たって、それなりに有効でしょう。
けど、この形式がたぶん流行に合わない。今の流行は、選び取ったものに全神経を集中するような、そういう見方なんじゃないかなと個人的には感じます。
良し悪しは兎も角として、今の空気だとラノベからは、よい娘さんは出てこなさそうなので、それが残念だと感じる今日この頃でした。お粗末。