空鍋という事象(2)

SHUFFLE!のアニメは、空鍋というヤンデレにおけるエポック的な存在を生み出したわけですが、実際のところ観賞すれば分かるように、ここで製作者側が意図したのは、明らかに『To Heart』以後に大量生産された似非ハーレムゲーに対する批判でした。
これはどう考えても、それを消費する鑑賞者への批判でもあったわけです。そして、この種の批判こそ、ヤンデレを支えるもう一つの背景だと思うのです。
別に批判そのものに意味なんか皆無。こんな批判は、製作者と消費者の間を行ったり来たり無限反復する類のものに過ぎません。*1
ここで大切なのは、「物語を相対化する視点」そのものとでも言うべきでしょうか。
教養主義と言われれば、それまでだけど、一つの物語を今までに読んだ物語を使って読む楽しさをお手軽に提供してくれるところに、個人的にはヤンデレの魅力の一端があると思うわけです。
やはりというか『ヤンデレ大全』読んだら、最初の方に似たようなことが書いてはありました。ただ、オブラートに包まれてたので、やはり暗黙知の領域という感じがして不満ですね。*2

なんか大したこと書いてないですね。もう少し書けると思うんだけど、「オタクってさ」みたいな語りになるから自重。
ツンデレという概念の新しさは、賛否はあるにしても、物語に先立って展開を規制するところにあると思うんですよ。するとヤンデレの新しさを何か別のところに求めると、物語の相対化は外せない気がする。
幾重の純愛ヒロインを養分にパッと咲く赤い徒花というイメージが、ヤンデレという言葉にはよく似合う気がするんだよなぁ。

SHUFFLE! MEMORIES 芙蓉楓編 [DVD]

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*1:「お前ら、こんな話が好きなの?馬鹿じゃないの。」⇔「けど君達そんな馬鹿にに食わせてもらってるわけだからね。」以後無限ループ。まあ、結構これも魅力の一つな気はする。自分には理由を言語化は出来ない。

*2:もしかしたら、空鍋がエポック足りえたのはゲームとアニメの差という枠の中で、この楽しみを提示できるところにあるのかも。