SOUL CATCHER(S)

七夕がこのブログの開始日なんだけど、書くネタが無いと零していたら『SOUL CATCHER(S)』の感想でも書いたらどうですかと勧められたので、書いてみんとす。

実はミスマッチものというか、主人公の能力からすれば本来の用途ではない使い方をさせられる話なのかなとは少し思っていたりはします。なんか音も可視化されるみたいなんで*1、音楽関係の仕事につくのも悪くないのかもしれませんが、心が見えるという能力を重点に置くなら、音楽という手段はやはり迂遠ですよね。
加えて、作品の中で目標とされているのは全国コンクールへの出場であり、一話目で描かれているように即興演奏向きの神峰くんの力が、一つの完成した音楽を集団で作り込んでいくという作業に対して、有用な力なのかは疑問が残るところです。
もちろん、実力的には十分なものがありながら今一歩全国には届かない吹奏楽部を、神峰という刺激で一皮向けさせるという話の筋は、各パートの不調和の解消という形で進められてはいます。ただ漫画的には、主人公としてカンフル剤以上の活躍が求められるわけですけど、各パートの意識統一以上のこととなると、心が見えるからといってどうにかなるという話でもない気がするんですね。
というより、これは完璧にジャンル的な話なんですけど、神峰くんの力ではおそらく存在するであろうコンクール的に完璧だけど人を微塵も感動させない音楽というものに、勝てないと思うんですよ。何故かと言えば、完璧な演奏には、それを可能にするだけの努力がどうしても透けてしまう性質のものだからです。
今日、努力じゃなくて覚醒だろ。と言われて久しいわけですが、例えば覚醒の確変状態が起きてる『黒子のバスケ』だって、舞台が過去であることが示しているように一種のアンチテーゼに過ぎません。やはり、努力は不在ではありうるかもしれないけど、努力そのものを否定することは少年誌ではなかなか難しいと見るのが無難でしょう。*2
まして、コンクールに優勝するために、ミス一つない完璧な演奏を作り上げるという努力自体は何も間違ってはいないわけです。おそらく、この努力を否定して、神峰くんの力が一番輝く即興性のある指揮のようなものを持ち上げることは出来ないと思うんですよね。
そこら辺を試合に負けて勝負に勝つ式にするのか、もう一段捻るのかが個人的には気になっているところです。前作の「あの人」を見るに、前者でも十分にいけるようには思うのですが、主人公の表現したいものに、知識が追いつかないという描写も散見するので、人を感動させることとコンクール向けの音楽の並列という線もあるのかな、とか。

ここまで書いて、およそ感想ではないという事実に耐え切れなくなったので〆。どうにも駄目なので、そのうちもう少しマシなものを書きます。たぶん。

*1:一定以上のレベルの演奏なら、ということなのかもしれないが判然とはしない

*2:「努力できないまま 努力できる連中に勝ちたい」ものですが