風立ちぬ

割と好きな映画ではあった。何か一つの主題にそって、感想を展開するのは、どうにも自分が受けた印象から離れるだけにしか思えないので、一番印象に残ったシーンをあげると、先輩が作った飛行機の試験飛行を見ているときの主人公の描写ということになる。
三菱に来てすぐに仕事を与えられたときの如く、このときの彼には螺子を限界まで巻かれたかのような活力が漲っているにも関わらず、総体としてそこに大きな動きはない。結果、彼はまるで引き絞られた弓のようですらある。肉体が、ということではない。ここで描かれいるのが終始、主人公の顔である以上、ここで表現されようしているのは彼の精神の状況であるはずだ。
私は、彼が起きながらに夢を見ているのだと解釈した。作品において幾度も示されるカプローニとの夢ではない、誰にも、観客にすら見ることが出来ない彼自身の夢をである。*1
無論、この読みは牽強付会が過ぎるのかもしれない。何せ、彼の「美しい夢」はカプローニとの夢の中に何度も登場するのだから。ただ、青年期に入ってなお、夢の中に現れる主人公の飛行機は、多くの部分が曖昧なものに過ぎない。彼がカプローニにそれを示せるようになるのは、彼が現実においてそれを作った後のことなのだ。*2
夢の中でみる夢は、あたかも近眼の人間が朝起きて最初に見る世界のように、どこかボンヤリとして焦点が合うことはない。もし、己の夢を実現しようと思うなら、彼は起きながらにして明晰な夢を見始めなくてはいけないのではないだろうか。たとえ、それがどんなに独善的で薄情なものだとしても。*3

*1:試作機は墜落したにも関わらず、道が開けた思いだと感想を述べるのは、そういうことなのだと思った

*2:そもそも彼が夢でカプローニに出会うのは、彼が現実でカプローニの存在を知った後なのだから

*3:作中、これと似たような描写がなされる箇所が何箇所かあって、大体が飛行機に関するものなのだけど、例外として黒川の家で嫁入りしてきた菜穂子を見たときがあって、その「美しさ」からメタ的な言説を取り出すのは容易いのだけど、この線にあまり安直に乗るのもまた違うような気はする。例えば、始めの頃に、主人公と母親が話し合う「夢」という言葉が、今見ていた夢、将来の夢、飛行機=美しい夢という三者の中を漂っているように、菜穂子にもまた夢があるわけだし