月曜日の空飛ぶオレンジ

月曜日の空飛ぶオレンジ。 (1) (まんがタイムKRコミックス)

月曜日の空飛ぶオレンジ。 (1) (まんがタイムKRコミックス)

面白かったから、読んでくださいね。ぐらいで済む話で、わざわざこの漫画について何か書くのは蛇足のようなものなんですが、作品の力を借りないことには今年中に更新することすらままならない感じだったので悪しからず。
私はあまり萌え四コマというジャンルを嗜まないので、もしかしたら界隈では常識に入る技巧なのかもしれませんが、この作品を読んで驚いたのは、萌え四コマの「グリッド」*1に対する強い意識だったりしました。
四コマ漫画というのはその名が示す通り、四コマの内部で漫画を展開するのが基本形で、「グリッド」は一種の無であると考えるのが普通です。もちろん、応用系はいくらでもあり、多くの四コマ漫画は軽々とコマを飛び越え、「グリッド」という無を異なるルールで塗りつぶしてもきました。
ですが、『月曜日の空飛ぶオレンジ』はそのような基本形や応用系には与していません。おそらく、ここで目指されている方向性というのは、無であるはずの「グリッド」を別のものに転換することなのではないでしょうか。そして、そのために作者が用いている戦略が三つあります。
一つ目はコマとコマとの非連続性です。
この漫画を読んでまず驚くのは、はたして連続していると言えるのだろうかと思うほどの突飛な展開であるということは衆目の一致するところでしょう。むろん、それは不条理ギャグなわけで、コマとコマとの間の落差が激しいほどギャグは冴え渡ることになるわけですが、中には「何か色々バグってますよ」という作中の台詞を好んで感想に選ばせてしまう類の、ちょっと度を越したものがあるのも事実です。これを作者のコントロールミスと考えることも可能ですが、その傾向が作品全体に行き渡っている以上、これは意図された非連続性なのだと考える方が妥当でしょう。
では何故に、コマとコマとの非連続性が希求されるのか。思うにこれは、本来であれば黒子のようにコマ同士の連続性を担保している「グリッド」を、読者の目の前に再提示するためではないでしょうか。本来であれば連続しないはずのコマ同士であるからこそ、仮初にもそれらを一つの連続体に仕立て上げる「グリッド」に注目が集まる。そのとき、もはや「グリッド」は単なる無であることを放棄せざるえないというわけです。
二つ目に「グリッド」とフキダシとの間に生じるコントラストです。
この漫画は単行本で読むと一目瞭然なのですが、先頭に載ってる回と最後尾に載ってる回では、漫画が依拠している表現の法則がかなり異なっています。*2その最たるものがフキダシの扱いで、一回目ではコマの中にきっちり納まっていたフキダシが、三回目からこれでもかとコマの外に飛び出してくる。*3このとき、フキダシは場合によっては「グリッド」塗りつぶして、コマとコマをつなげたりします。このフキダシによるコマとコマの接続において、基本的に意味されているのは会話の連続性です。二コマ目で放たれた言葉を、三コマで受けるとき、フキダシはコマという制限を越えて二つのコマの連続性を示している。そして、このようにフキダシが機能し始めるとき、その反射として「グリッド」の機能もまた再検討されざるえない。フキダシが会話の連続性を意味するなら、「グリッド」はどうような連続性を意味しているのか。時間なのか、空間なのか、それとも他の何かなのか。このように考え始めたとき、私達はすでに作者の術中にはまっていると言えるでしょう。
三つ目は「グリッド」そのものを物語の要素に組み込んでしまうということです。
これは端的に言ってしまうなら、単行本の後半においてナナミが訪れる謎の空間が「グリッド」なのだ。ということです。何故そう思うのかと聞かれれば、あのどこまでも同じ規格で広がっていく本棚が、どう見ても「グリッド」を意味しているようにしか見えない。などという印象論が主にはなります。ただ、一つだけそのように解釈しないことには、意味が全く不明になってしまう四コマというのが存在しているので、この方向性はそこまで間違ってはいないのだろうとは思っています。
それは96Pの2つ目で、この四コマはストーリー的には何の意味もありません。気がついたら、謎の空間から立方体の空間の中に移動していたことを確認するだけに四コマを費やし、次の冒頭では夢オチとして処理されてしまう。仮にこの四コマ分が削られていても、前後は何の違和感もなくつながってしまうことはほぼ間違いない。だから、この四コマというのはある種の雰囲気作りというか、遊びみたいなものだと考えることも出来る。
ただ、あの謎の空間が「グリッド」を意味しているのだ。と考えるとき、この四コマの意味は凄まじく明瞭です。つまり、描かれているのは「グリッド」の世界から四角いコマの世界に戻っていくというシークエンスに他ならない。*4であるなら、50年というタイムスリップや謎の物質の出現はそのようなものであると考えることが出来る。本来であれば非連続的なものをつなげる権能。そういったものに意識をやるとき、私達は少しずつ「グリッド」を無視することが出来ない場所へと追い込まれていく。


などと長々と書いてみたのですがオチはありません。しばらくブログから離れていたせいか、文章能力全般の劣化が酷いし、当たり前のことを当たり前に書いたに過ぎないしで、反省することしきりです。わざわざ三つに分ける云々するより、連載の流れに従って表現が拡張されていくのを追っかけていくスタイルがベターだったのかなという気はしているのですが、それをやる為には作品そのものの引用が大量に必要になりそうなので、こういう形になりました。
自分で書いといて何なのですが、本当の意味では戦略は三つというよりは一つなのだろうと思います。ただ、「グリッド」がまさに目の前で機能していない状況においては、そのような分化に頼らざるえなかったというか、私の四コマを語る語彙の貧しさが不必要な分断を必要にしたのだというお話ですね。駄文でした。
次はもうちょっと慣れたフィールドに立ち戻ろうかとは思います。

*1:要は四コマの間に存在する格子状の空白のことだが、格子状の空白だと何か間抜けだし、ちょっとシステム的なよそよそしさを出したかったので、あえてこの語にした。むろん、根本的にはカッコつけただけの話ではある。

*2:拡張されているという方が正しいような気はする

*3:正確には二回目の冒頭で一度飛び出すのだが、残りは全て枠内で収まっているので三回目からということにした

*4:この回からキャラクターがコマの外に飛び出るようになるのだが、あえて、この回からである理由を探すなら、96P二つ目三コマ目との対比だろう