花散峪山人考

花散峪山人考

花散峪山人考

raiL-softの過去三作をやってきた人間として、このゲームの一章をプレイしたとき、作品に秘められたポテンシャルに身を震わせた。
言うまでもなく、その身震いの原因は、伊波冬矢という主人公の造詣にある。過去三作において、raiL-softの主人公に欠けていたものは覇気であった。これはシナリオライターの希の好みである幻想的な物語に主人公が絡め取られていく様子と、それを読むプレイヤーの境地を重ね合わせるための処置であって、性格は違えど流れのままに異界へと身を浸していく男たちを、私は三作を通して眺めてもきた。
だが『花散峪山人考』の主人公はその類型の対偶にあるのだ。タイトルにある山人というのは、今作における異界の象徴とも言える言葉だが、そのビジュアルを表すのは『霞外籠逗留記』や『信天翁航海録』に登場した、あの判子のように顔が似た少女たちの縁類である。
この物語は、そんな少女たちを伊波が憎悪の下に花と散らすところから始まるのだ。過去作において、異界を異界として機能させるための歯車のように形象されてきた少女たちをである。
ならば、これは相克の物語だ。希は今回もその異界好みを一時すら手放しはせず、にも関わらず、その主人公に異界の全てを滅ぼし尽くさんとする漆黒の意志を与えたのだから。その行き着く先に描かれるものが何であるかは、自ずと見えてくるというものである。
それを茶番と言うのであれば、言っていればいい。生と死すら越え出た彼らの物語が辿り着く、侵しがたいほどの静謐さには、間違いなく一見の価値が存在している。これだけは保障しよう。作り手はその果てまで、決して筆を緩めることはなかった。*1もしも、体験版を手に取り、私のように傑作の予感に震えたなら、それは決して裏切られることはないだろう。
なるほど、欠点はある。このような癖のある文体で、構成に緊迫感が欠けるとなれば、それは物語を読み進める上での難所になるだろうし、終盤の花散峪を見れば、希の手癖を想起せずにはいられない*2かもしれない。それでも、この作品には瑕疵を塗り潰すだけの力がある。道程の険しさに報いるだけの絶景がある。読み終わって尚、反芻したくなる静けさがある。それだけで、もう、十分ではないだろうか。
積んでた自分を恥じました。かなりお勧め。

*1:最後の最後で少々、筆が過ぎたのではないかと個人的には思いもするが。

*2:意識して過去作に寄せてる気もするが、効果として読みの多層化より既視感が先立つのも確か。