ヨタトーーーク

二回目にして既に書きあぐねたので、我ながらどうかと思う。
近年ずっと考えていたことに、ADV式エロゲ*1における時間経過というお題がある。つまり、これらのエロゲの内部には一般的な映像作品に仮構しうるような、作品世界固有の時間経過というものが存在しない。*2おおよそ三行ごとに表示されるテキストが作内においてどの程度の時間経過と結びつくのかを推察することが基本的に不可能である以上、たとえオートプレイといえども、プレイヤーの時間感覚を曖昧に作品に投影せざるえないからだ。*3
このような投影が可能になるのは、ADV式エロゲにおいて表示される全体が作品世界における「いま、ここ」を指し示しているという暗黙裡の了解が成立しているからではないか。というようなことを考えたとき、主人公の認識という形を通して「いま、ここ」と絡み合うテキストの類縁から「主人公」というもののモデルを取る動機が成立しうるだろう。
などと自分の方針を糊塗してみたが、エロゲを構成する要素を大雑把に分ければ、絵、文字、音なのであって、絵に拠っている視点といった考えた方ではなく、文字や音といった要素に拠った「主人公」というものへのアプローチがあってもいいだろうという程度の話なのだとは思う。
次は何か考えます。

*1:言うまでもなく、ADV式エロゲにも無数の差異があるのであって、タイトルどおりの与太話ではある。

*2:例えば、恋姫無双シリーズは、その曖昧さを利用して、黄巾の乱から赤壁の戦いまでという長大な時間経過を、プレイヤー側に誤魔化したまま最後まで逃げ切っているように思える。

*3:システムが与えてくる時間としてカレンダー、テキストが与えてくる時間として朝起きてから寝るまでを描写する手法などが考えられるが、これらは目安であっても時間経過そのものではない。