紫色のクオリア
- 作者: うえお久光,綱島志朗
- 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
- 発売日: 2009/07/10
- メディア: 文庫
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感想として書きたいことは大体どこかで書かれているので、少し考えさせられたことだけ書きます。
この物語には二人の天才が登場します。一人は、人間がロボットに見えるゆかり、そして数式を絵として見ることが出来るアリスです。この二人の天才は、物語において全く正反対の扱われ方をします。この扱い方の違いが私には少し引っかかりました。
クオリアの結論を要約するなら「個人とは一つの宇宙であり、ヒロインはその宇宙の外に立つ存在である。彼女は決して所有することが出来ない。だが、彼女はこちらを見てくれるのだ。」ということになると思います。表紙のゆかりに移りこんだ学という構図をそれを裏打ちしているでしょう。*1
ここで問題にしたいのは、何故にゆかりは一方的に学を見ているのか?という問いです。見つめるという行為は、同時に見られることでなければ、両者に対等な関係が存在しているとは言えません。ですが作中において、学はゆかりと同じレベルで見ることは許されていないのです。その代わりに、学はアリスをその人格の全てを蹂躙するレベルで見ることになります。
『紫色のクオリア』はかなり論理的に組まれた物語です。アリスというキャラクターによって、学とゆかりのあいだの一方的な力関係を設定する必然性が、作者には存在したと考えられます。その必然性の中身を考えていくと、なかなか面白いのではないかと思いました。
「美少女」は神秘的でなければならないのでしょうか。そうであるなら、アリスはもはや「美少女」ではありえなのでしょうか。そんなことを考えた次第。
SFだと売れないという話もあるみたいですが、最悪設定読み飛ばしてもいけるでしょう。一度読み始めたら止まらないこと請け合いの小説です。お勧め。
次はもう少しまともな書評を書きたい。
*1:もしも、彼女がこちらを見てくれる保証が何処にあるのか?という問いを発するなら『秒速5センチメートル』になるだろう。