『続・殺戮のジャンゴ ─地獄の賞金首─』の選択肢について

この作品は一本道の物語で、選択肢ミスは即バットエンド突入という構造をしている。ある意味では全く選択肢の意味がないのだが、演出上の意図は明白だろう。それは主人公補正のなさ、言い換えるなら、主人公がちょっとした選択の違いで儚く散ってしまう存在に過ぎないことを物語っているのだ。*1
それを踏まえた上で、この選択肢たちにはやはり問題があると思う。例えば何が悲しくて、練習中の素人の銃口の前から退くか/退かないかを選択して、バットエンドに突入しなければならないのだろう。もちろん、人生にはそういうこともありうるが、わざわざ物語の中で十個しか存在しないバットエンドの一つをそれで埋めるのは、あまりに露悪的である。
もちろん、このエロゲはタイトルからしてギャグなのであって、そこに真面目に反応するのが野暮であるのは承知だが、選択が主人公の意思決定と全く関係していない選択の果てに死ぬというのは個人的にはどうにも釈然としない。この演出意図において、選択肢は形骸化し本来の意味を失わざるえないのは分かる。だからと言って、選択肢の持つ形そのものを粗末に扱っていいという話ではないはずだ。
全ての選択肢が主人公の意思と関係していないというなら納得出来なくもないが、必ずしもそうではないのだから、この選択肢群にはやはり精緻さが欠けている。物語と選択肢が完全には絡み合っていないのだ。『沙耶の唄』のライターだけにもっと上が目指せた気がしてならない。少し残念である。


風の便りによると虚淵にケチをつけるのが吉らしいので、舌先の乾かぬうちに節操の無い記事を書いてみた。選択肢関連はもう十分ですね。次は書評でも書きます。

*1:この演出手法を誰が最初に始めたのかは定かではないが、完成させたのは奈須きのこだろう。