『社会は存在しない』雑感

社会は存在しない

社会は存在しない

久々の更新なのですが、少し流し目で行きたい所存。
『社会は存在しない』を読みました。セカイ系評論集というニッチな代物な上に、統一的な論が目指されているわけでもないので、セカイ系という言葉に興味を超えた愛着を持った人間のための本だとは思います。
実写映画や現代演劇の中、あるいは『虚無への供物』の中にセカイ系的な想像力を見るといった自由度の高い論に、自分の考えを共鳴させる楽しみがあるとはいえ、セカイ系に肯定的な評論群は、一つとして全体としても、説得力のあるセカイ系の展望を提示することが出来なかったなというのが印象です。
これはセカイ系という言葉の持つ多義性を考えれば、ある程度は仕方の無いことではあるのですが、やはり一冊の本として出す以上は各々で宇野を批判するだけではダメだったのではないかとは思いました。
その逆としてセカイ形に否定的な二つの評論は、少なからずセカイ系を規定する強い言葉を用いていたと言えるでしょう。一つは岡和田晃の「青木淳悟」論です。私自身が青木淳悟の作品を未読のため、完全な評価は出来ていないのですが


すなわち彼らは「セカイ」と戦っているつもりでありながら、実は「セカイ」を強化してしまっているのである。彼らが直面している「セカイ」は、あくまで彼ら自身の内面を模したシュミラークルでしかないからだ。そして、その構造を外部から規定しているのは、資本主義が規定する社会システムにほかならない。言うまでもなく「ジャンルX*1」は資本主義に過剰適応したジャンルである。」

という厳しい言葉に、セカイ系を横断する批判が成立しうる余地は十分あるでしょう。その上で彼が提唱しているのは、どうやらセカイ系的な状況をある意味で受け入れながらも、「ボク」と「セカイ」をつなげてしまうような想像力を挫折させるあり方のようです。引用が多く読みにくい文章ではあるのですが、考えさせられる内容だったと思います。
そして、反論はあるでしょうが私は、この本の冒頭に位置する笠井潔セカイ系と例外状態」をセカイ系に否定的な位置にある論であると考えています。
何故ならば、笠井自身が定義によってはセカイ系の源流の一つとされる清涼院流水を評価しない立場を表明し*2、その後の西尾・佐藤といったセカイ系とのつながりを指摘される作家たちにも、かなり否定的な意見を持つ評論家だからです。(追記・どうも現状としては、肯定する方に傾いている様子ですね。)
もちろん、セカイ系についての評論を書くのにセカイ系に肯定的な立場である必要はありません。むしろ、ここで書かれているセカイ系論は、現代と1920、30年代の社会状況との類似というフレームによって外側からセカイ系に迫ろうとしており、下手に迎合するよりも明らかに誠実な方法によって書かれいます。外からの目線により、近視眼になりがちなセカイ系論に一定の視座を与えている意味で、価値ある指摘もある評論です。
ですが「これから到来するであろう決断主義」について語る笠井には、ある程度の留保が必要だとも思うのです。何故なら、笠井はこの評論の中で自らの専門とするミステリーについてほとんど語っていません。ここには明らかに、自分のセカイ系についての立ち位置を故意にあいまいにしようとする意図が垣間見えます。
それにもかかわらず、現在のセカイ系状況を過渡期と名づけ、自らの提出したフレームにおいて、これからの展望を語ろうとする笠井の態度は不誠実の謗りを免れないのではないでしょうか。
例えば、笠井のコードギアス解釈の問題点は実に象徴的です。周知のようにコードギアスは一期と二期に別れる作品であり、両者はそれぞれで完結し、様々な相違点を持っています。笠井はその解釈においてその完結性や相違を無視し、両作品の要素を好きに取り上げ一本の物語として語ってしまいます。*3
その上で、論ではコードギアスという物語にオイディプス王の反復を見いだれれるのですが、ここで発見された反復のために犠牲された物語の要素の多さは、あえて説明の必要もないでしょう。*4
論の中で、コードギアスを来るべき決断主義の時代に相応しい作品であると評価されています。逆に言えば、笠井は「来るべき決断主義の時代」という彼の頭の中にある状況から、セカイ系の作品を評価しているのです。この迂遠さの原因が、笠井のセカイ系への立ち位置と関係していることは想像に難くありません。
笠井が物語を捨象し、組み替えようとする挙措そのものに、セカイ系を語る一つのフレームとその限界が表わされています。笠井があいまいにしたまま、無遠慮に踏み込んだ限界に踏みとどまり「セカイ系と例外状態」を反セカイ系論として読むとき、この論は一粒で二度美味しくなるのではないでしょうか。

*1:ここではセカイ系作品の同義語として考えてよいだろう。

*2:後に改めてはいますけどね。

*3:『社会は存在しない』全体にコードギアスを恣意的に自分の論と近づけて語る傾向は存在しているのだけど。

*4:反面、笠井によるルルーシュの読み解きの精度はかなり高いと思う。