「父ー子」の過剰と不在

私は流行りに弱い性質なのでチビチビと『HEROES』とか見てたんですが、たった今1シーズンを見終わりました。続編が途中で決定しているせいか、いまいち最後の盛り上がりに欠けた感じはしましたが、娯楽作としては悪くなかったかなというのが正直な感想でしょうか。
けど、この物語って異常なほど「父ー子」に溢れてるんですよね。モヒンダー親子、ヒロ親子、クレア親子を筆頭に、サイラーの暴走も擬似「父ー子」関係の崩壊が原因だし、物語の一番大きい枠も明らかにパターナリズムからの脱却だと思うんですよ。
この過剰さを持ったドラマが流行るのは逆説的に、アメリカにおける「父ー子」関係の崩壊を示してるのかなと考えたりはします。まあ、オイディプスを例に取るまでもなく、父殺しであり父越えは、普遍的な物語要素なわけですが、近代に入ってそれを支えていたのは進歩史観であり、第二次大戦後は経済の比類ない発展だったと私は思います。*1
しかし現在において、自分が親の世代より豊かになれることを純粋に信じられる人間は先進国ではほとんど存在しないわけで、その漠然とした不安に対する一つの答えが、「父ー子」の過剰という結果なのかもしれません。
その不安は日本では逆に「父ー子」の不在という形で表されたわけですよね。ドラマから引いてくるなら『CHANGE』なんか冒頭で主人公の父親が死んでしまうわけで、古い原作のあった『華麗なる一族』と対比すれば、この発想の現代性がうかがえるのではないでしょうか。*2
既に崩壊してしまったモノの中から、何を見出すべきなのか。それが私達の世代の課題なんだなと、なんとなく偉そうなことを考えさせられた作品でした。*3

*1:まあ、アメリカは大戦後に相対的には没落し続けたわけだけど、今より成長はしてたし。

*2:関係ないけど、キムタクがもっとポピュリズムの権化みたいな、具体的にはホリエモンをモデルした役をやれば、もっと視聴率取れた気がする。

*3:ちりとてちん』のラスト付近も考えさせられるよね。