鬼に笑われよう
来年は清涼院流水の小話を、JDCというよりはトップラン辺りの模索というか迷走の意味性を考えるみたいなのをしたい。
大まかな枠は、作家と作品世界の距離感がある時点から自覚的に処理されるようになって、その自覚と前後してライトノベルにおける多作の傾向が出現し、作品世界と常に一定の距離を保つスタイルが確立して、複数の作品世界を並行的にリンク出来るよう配置する感覚の背景を形成しつつ、今度はそれを逆手に取るような作家が出現する。という近頃お気に入りの与太話から来てるんだけど、それは別としてもJDC以外が無視され過ぎなので、誰か注目をとは思う。
追ってた当時はたまらなかったけど、今思えば、トップランとか秘密屋というのは、西尾維新曰く「清涼院流水を終らせてしまった」後の、新しい距離感というかリアリティの模索な気もする。
少なくとも本人の中では理屈はあるんだろうから、こねくり回せば何か出るだろう。
- 作者: 清涼院流水
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2004/04
- メディア: 文庫
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