川上稔について思うこと

さて、ライトノベルと俗に言われる分野で、一番変なことを書いてる人間は誰かと聞かれれば、中村九郎と答えるしかない。しかし、一番変なことをやってる人間は誰かと聞かれれば、川上稔だと個人的には思っています。
理由は主に二つあって、一つは現代屈指の巨大な物語世界の提唱者であること。*1
もう一つは「都市シリーズ」に見られる妙なルール。未読の方に一例を挙げれば『閉鎖都市 巴里』という作品には、地の文を登場人物と共有するという一風変わった設定があります。
川上稔はゲーム作家でもあるので、そこら辺との関係で色々と小説について考えることがあり、何らかの試みをしてるのは明らかなわけで、それについて考察するのは考察厨の血が騒ぎます。
ですが、川上稔を何処まで信じて良いんだろうか。という悩みもあるんですよね。川上稔が考え無しに小説を書いてるとは全く思わないですが、面白ければ設定を曲げても気にしない人だという印象が自分の中で拭えない。
「言詞力」という概念が彼のデビュー作からの一連の作品で登場します。これは、もちろん「原子力」をルーツしたものでしょう。この言い方は正しくないですね。むしろ言詞力という概念の導入によって、全体としての都市世界観が形成されたと言うべきなのかもしれません。*2
「都市シリーズ」は現代からは一度隔絶した同世界の物語だとされてはいます。
ですがタイトルなどを考えれば、原子力によって成り立っている現実世界と言詞力によって成り立ってる都市世界を、パラレルとして捉える読み方を示唆してる様にも見えます。*3その読み方を表層としてだけなのか、もっと深く潜るのかを判断する時に信頼度は大切だと思う。読み間違えると、目も当てられないような方向に突き進む可能性が誰にでもありますから。難しい問題。

まあ牽制の言い訳はこれぐらいにして、とりあえず、近日中に「『閉鎖都市 巴里』から見る川上稔」みたいな記事を載せる予定です。*4

*1:それについてはここを参照。

*2:遺伝詞は内部設定に取り込まれすぎて、より大きな枠を形成するには力不足な印象。

*3:「OBSTACLE」と「CITY」の基本イメージと東西冷戦とその終焉の結果のイメージも似てる。

*4:何故に巴里かと言えば、好きだから。AHEADシリーズは全体的に向いてない気がする。