近況とか

自分がブログを更新できない理由をぐだぐだと自己分析しても、さしてエンタメであるとは思えないので、とりあえず試行錯誤など。

さみしいひと (花とゆめCOMICS)

さみしいひと (花とゆめCOMICS)

斎藤けんの『さみしい人』を読んでいて、なんとなく『グリザイアの果実』に出てくるマキナの母親のことを思い出したりしていた。あの作品において彼女は割と全否定される人として登場する。彼女は親の金であらゆる挫折から無縁の人生を送ってきたが故に、他者への共感や想像力を欠く、歪な性格の持ち主として主人公からは看取されていて、掛け値なしにそういう行動を取る人なのだが、それは一概に責められたことなのだろうかとプレイしていた当時思ったりした記憶があったのだ。
もちろん、彼女は自分の意を通すために「暴力」を用いているので、その面ではフォローのしようがないし、そうであるが故により強大な「暴力」の所有者である主人公に負けることにもなる。しかし、社会的に合法とされる行為の範囲で、彼女のように振舞うことが有利である場面というのはいくらでも想定しうるし、であるならば彼女の人格そのものを一概に悪とすることは出来ないような気がするのだ。
『ブラインドサイト』という小説の中で、支配者階層に属する人の間では脳の一部が萎縮し、他者への共感能力が落ちる傾向があり、これはこれからの人類の進化の方向を示しているのかもしれないという話があるが、そういう観点からすれば彼女はただ単に現行の環境に適合しただけである。
『さみしい人』の中で、篠原諒の母親もまた「暴力」を振るおうとして、最終的には敗北する。ここで描かれている「暴力」は極めて観念的な趣がなくはないが、決定的なものとして現れていることも確かである。
そこがこの作品の消化不良なところな気はする。母と子供の紐帯をただ「言葉」だけで分かつことは絵空事に近いのかもしれない。だが、虚構の可能性とはまさに絵空事であることなのもまた確かである。