今週の『めだかボックス』についてとか。

ワールドカップは残念でしたね。正直ここまで来ると思わなかったので、個人的には大満足なのですが。あとPVが十万を超えました。見てくださった方々に感謝。
ジャンプを読んでたら、球磨川禊のキャラがいい感じに気持ち悪かったで少し書いておきます。この気持ち悪さというのは、彼の特徴の少ない顔もさることながら、その喋り方によるところが大きい。
彼はフキダシの中で言葉を『』で囲んで喋ります。言うまでもなく台詞を『』で囲むというのは小説の技法に属する技法です。つまりここでは、フキダシによってキャラクターは台詞を発するという漫画の技法が、別の技法によって侵食されています。もちろん、登場するキャラクターの多くが漫画の技法で発話している限り、漫画の技法のヘゲモニーは確固として存在し続けるでしょう。しかし、一度他の技法に侵されたフキダシという技法は、もう無自覚に漫画の中に存在していることは出来ません。私達と漫画の間にある暗黙の了解事項を揶揄されること、球磨川禊に読者が感じる気持ち悪さの理由の一端はそこにあります。
これはもちろんフキダシという技法に限ったことではありません。彼は次々と傷を負ったキャラクターたちを元に「戻」していきます。ここで揶揄されているのは、キャラクターの持つ身体の都合の良さだと言っていいでしょう。傷を負い戦闘のダメージを蓄積していきながらも、一つの区切りが付けば、何のてらいもなく全快してしまうキャラクターたち。そこでは彼らの表面についてダメージの痕は、あくまで記号的な表現でしかない。だからこそ球磨川禊は、喜界島もがなのダメージと黒神まぐろの傷跡を同じ方法で戻せてしまうわけです。
私は別に、球磨川禊がメタキャラであると主張するつもりはありません。むしろ彼は自らの行使する能力の意味を絶対に自覚することはないと思います。ここで焦点になっているのは、漫画を支えるメタな制度が、漫画内の異能の表現に取り込まれてしまうという状況です。その気持ち悪さに私はある種の悦楽を見出しました。
もちろん、フキダシにしても身体にしても目新しい問題提起ではありません。ですが、それを天下のジャンプで展開するという不敵さに感心した次第。判官びいきかもしれないけど。