レスラー

うらぶれた中年プロレスラーの挫折と再生と何かを描いた映画。主役のミッキー・ロークは恐ろしいほどはまり役ですね。十年という単位で見られ続ける作品だろう思います。見終わった後、言葉にならないものを感じられる映画でした。
物語は、落ち目のプロレスラーであるランディが、試合後の控え室で休憩しているシーンから始まり、彼が死を覚悟しながらレスラーとしてカンバックを果たし往年の必殺技をかけるシーンで幕を閉じます。医者から引退を宣告されたレスラーが、新しい人生への一歩を踏み出すものの、その挑戦の全てに失敗し、プロレスラー・ランディ"ザ・ラム"としての自分に全てを賭けることを決意する。これはそういう映画です。
たとえランディが最後に幸せを感じていたにしても、これは救いのない物語であると私は思いました。彼の失敗のほとんどは自らに責任がある事柄によりますが、その根源にあるのはプロレスへの献身です。プロレスのために家族と安定した生活を犠牲にし、ステロイドのために心臓発作を起こしながら、彼はプロレスを愛し、また確かに愛されてもいるのです。
生と死の全てをプロレスにささげることによって彼は、身体の衰えを超克し一つの象徴へと上り詰めます。ですが、彼が生きた伝説としてファンの前にカンバックしたとき、私はランディ・ロビンソンが得たものと失ったものを比較せざるえませんでした。
自らを消費されゆく記号へと転じ、プロレス以外の全ての世界から退くことによって、彼は美しい何かになれたのかもしれません。ですがそれは、醜さと背中合わせに現れる歪なものに過ぎないではないでしょうか。そして、醜さとは彼の人生そのものなのです。
映画の始まりが象徴するように、これは既に「終わった」物語なのでしょう。たった一つだけ最後の残された可能性に彼が見せる軽さ、そこに垣間見えるのは、彼がもはや引き返すことなど不可能な地点まで来ていたという残酷な事実に他なりません。
物語の最後で、観客の声援が彼を死刑台へと運び、破裂寸前の心臓を抱えたランディ"ザ・ラム"がポール上から華麗に飛び降りるとき、そこに透かし見えるのはランディ・ロビンソンの無貌のデスマスクです。エンドロールを眺める私たちの前に、全てを奪われた何かの気配だけが残る。少しして観客は席を立ち、後には何も残らないでしょう。生贄の羊は魂まで神に捧げられるのですから。傑作。