『神のみぞ知るセカイ』について
- 作者: 若木民喜
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2008/10/17
- メディア: コミック
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桂馬の2D語りというのは、基本的にギャグとして回収されているんだけど、今回の「足りないDはDreamで補う」にしても、その意味を考えると確固とした自分の世界を持ったキャラクターだということが分かってくるんですよね。
例えば、単行本の二巻収録のエピソードの女主将との会話で、「接点がなければ、せめて生き方の沸点を合わせる」という発言がありますが、これは桂馬が自分の考えに固執して他の価値観を貶めるキャラクターではないことを如実に示している。これは、それこそ矢神月とは全く正反対の性質なんですよね。
まあ、現実なんかクソゲーだに始まる多くの名言もあるわけですけど、この作品世界では桂馬の発言は、基本的に一笑に付されるか拍手を持って迎えられるかの二択なので、誰かを傷つける意図は全くないんですよ。*2
このキャラクター設計が少年誌で主人公をはれるという事実に賛否はあるかもしれませんが、私はかなり好きです。桂馬は「他者」が作った物語との対話の中で、自分の内面世界の深い部分にたどり着いているんだよね。虚構から大切なものを手入れることが出来るのだという『金魚屋古書店出納』あたりとも通じるこの感覚に、物語好きの一人として深い共感を覚えてしまいます。
そういう考え方はナイーヴすぎるという意見もありますし、私も内面の豊かさだけで現実の社会を生きていけるとは考えてませんけど、自分の内面世界に何の意識も払わない人生は虚しいとも思います。
なんか収拾がつかなくなってきたので終りますが、2Dも捨てたもんじゃないんだよ。ってそういう話でした。