『神のみぞ知るセカイ』について

神のみぞ知るセカイ 2 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 2 (少年サンデーコミックス)

私の狭いネット観測範囲によると、どうも『神のみぞ知るセカイ』がブームらしいので、一つ書いてみようかと思います。*1まあ、今週の連載分が前回の引きから考えると、多大にしょうもなかったというのは多くの読者の感想ではないかと思うのですが、少し見方を変えれば、主人公の桂木桂馬がいかに安定したパーソナリティとして作者に把握されているかを物語るエピソードだったということも出来るでしょう。
桂馬の2D語りというのは、基本的にギャグとして回収されているんだけど、今回の「足りないDはDreamで補う」にしても、その意味を考えると確固とした自分の世界を持ったキャラクターだということが分かってくるんですよね。
例えば、単行本の二巻収録のエピソードの女主将との会話で、「接点がなければ、せめて生き方の沸点を合わせる」という発言がありますが、これは桂馬が自分の考えに固執して他の価値観を貶めるキャラクターではないことを如実に示している。これは、それこそ矢神月とは全く正反対の性質なんですよね。
まあ、現実なんかクソゲーだに始まる多くの名言もあるわけですけど、この作品世界では桂馬の発言は、基本的に一笑に付されるか拍手を持って迎えられるかの二択なので、誰かを傷つける意図は全くないんですよ。*2
このキャラクター設計が少年誌で主人公をはれるという事実に賛否はあるかもしれませんが、私はかなり好きです。桂馬は「他者」が作った物語との対話の中で、自分の内面世界の深い部分にたどり着いているんだよね。虚構から大切なものを手入れることが出来るのだという『金魚屋古書店出納』あたりとも通じるこの感覚に、物語好きの一人として深い共感を覚えてしまいます。
そういう考え方はナイーヴすぎるという意見もありますし、私も内面の豊かさだけで現実の社会を生きていけるとは考えてませんけど、自分の内面世界に何の意識も払わない人生は虚しいとも思います。
なんか収拾がつかなくなってきたので終りますが、2Dも捨てたもんじゃないんだよ。ってそういう話でした。

*1:タイトルのネタがやりたかったというもの大きいですが。

*2:小阪ちひろのエピソードにおける桂馬の反応がそれを示しているとも言えるのかな。