おがきちかの天才を褒めてみよう。

Landreaall 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

Landreaall 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

Landreaall』の最新巻の感動がまだこの胸に残っているよ。という感じなんですが、先の感想文の評判が周りで芳しくないので、もう一文書こうかと思います。*1
この13巻に収められている「アカデミー騎士団」編のどこが一番凄いかと私が思ったかというと、ティティがイオンの頭に手を置くときの目の光なんですけど、それと同じくらいに感動したのは、このエピソードが主人公不在で進んでいくということなんですね。
物語の主人公であるDXは「アカデミー騎士団」編が起きている時間に平行して、とある場所で困難な試練に立ち向かっているわけです。そこは「ウルファネア」編として、このエピソードの前に書かれています。*2別にこれ自体は長期連載している少年漫画ではよくありがちな並行的な進行と大差ないんですが、この『Landreaall』の凄いところは、物語のテーマとしては直列につながってるんだよね。
「ウルファネア」編というのはDXが初めて自分の立場というものに自覚的になる話で、つまり「王」というものを意識し始めるまでを描いたエピソードなんですよ。それで「アカデミー騎士団」編といのは一面では、「王」であるということは、どういうことであるのかをティティを使って描いたエピソードなんですよ。
たぶん、普通の人が描いたのであったとすれば、「アカデミー騎士団」編というのはDXが「王」としての自覚の下に人々にその能力の片鱗を見せ付ける話なってしまうと思うんです。だって、テーマ的にはその方がスッキリしてるでしょ。けど、おがきちかはソレをしないんだよね。それはDXの行動の自由度とか色々なことを計算した上でのことなんだろうけど、結果として生まれた物語が、先にあげた普通の展開で到達不可能な芳醇なものになるところが、この作者の天才だと私は思います。
このエピソードを主人公不在で進行させることによって、この物語の展開の幅は一気に増しました。ここで提示されている問題は、ティティで十分ではないのかってことなんですよね。ティティの下に組織された騎士団は十分に誇り高く、物語を読んでる私たちから見れば、なんの問題もないよう見えますが、作中で何度も言及されているように、DXがいたら別に形になっていたはずです。
それは能力本位で、より平等の思想に満ちたもので、より少ない犠牲で事件を解決できたかもしれませんが、その分だけ、貴族や騎士というものが持つ特権的な地位に配慮しないものになっていたでしょう。
そこには凄い危険性が含まれていて、例えば、議会には王族だけでも逃がそうと考える派閥だって存在しているわけだし、ハルの意見だって騎士団というものの存在が前提になってるわけです。そこには国民皆兵といったような民主主義的な発想はないんですね。*3
だから、DXが王様になるよりも別の人間が王様になった方が、この揺れる王国をソフトランディング出来るのではないか、という発想が生まれてくる。これはDXが騎士団にいたら顕在化しにくい発想で、これがあることによって、これから先の展開が予想しにくくなって読者としての楽しみが膨れ上がります。
そして末尾の書き下ろしで、アンちゃんが初めて自分の理想とする君主像を語るわけですよ。「王」を巡る二つのエピソードの締めとしては、実に意味深です。構成だけでこれだけ語れる、天才ストーリーテラーおがきちかを褒める文章でした。

*1:自分でも、やっちまった感はあるのですけどね。

*2:チューターの字が汚いとか芸が細かくてポイント高いですよね。

*3:誤解を招くかもしれないけど、戦うのって権利なんだよ。