シュナイゼルの底を求めて。

というわけで、ディートハルトにゼロの「混沌」に比して「虚無」と称されるシュナイゼルについて考えたことを少し書きます。

「悲しいね、コーネリア。」に続く言葉

シュナイゼルはコーネリアを撃ちながら上記の言葉を呟きます。この後に続くとするなら「兄妹である僕らすら分かり合えない。」という旨の言葉だと考えるのですが、シュナイゼルって全く悲しそうな顔してない。
ここにあるのは、一種の諦観なわけですよね。つまり人間同士は究極のところで分かり合うことが出来ない。だから、世界中の人間が平和を望みながら、それを分かり合えず戦い続ける。これがシュナイゼルの世界認識なわけです。
だけど、これはシュナイゼルにとっては悲劇ではないのかもしれない。

「虚無」とは何か。

虚無と混沌を分かつものとは何でしょうか。色々な考えがあると思うのですが、動静というのが私の解釈。
最も近しい他者である親に見捨てられた記憶を持つルルーシュもまた、人と人との理解に対する深い不信を持っていることが本人の口から語られています。ですがルルーシュは、ナナリーを筆頭に他者を求めることを止められない、対人関係に対する負の感情を持ちながら、それでも他者を求める、これが動であり「混沌」*1
それに対する静である「虚無」とは、他者を求めないということではないでしょうか。全くの一人で完結してしまう、誰かと分かち合うことを本質的に欲しない、超然とした人格。人間同士は分かり合えないものだという世界を、何の痛痒もなく空気を吸うような自然さで受け入れられしまう男、それがシュナイゼルなんじゃないかと。

ナナリーが騙される理由

ナナリーの本質っていうのは「分かり合えるはずです、人は」なんだけど、ここにあるのは人間同士は分かり合うことを欲しているという理解なわけです。嘘もまた他者に信じて欲しいという気持ちで放たれている以上は、分かり合おうとすることで、その真偽を判断できるというのがナナリーなんだよね。
だけど、シュナイゼルはナナリーの理解を超えてるわけです。ナナリーを騙せること自体が、彼の持つ「虚無」の質を明かしてるかなとは思う。



正直、ミスリードに唆されている気もするので、まあこういう考えもあるよねって位で読んでください。お粗末様でした。

*1:ディートハルトにルルーシュの内面が分かるのかという問題はあるんだけど、「分かる」からあの場所にいれるんだという解釈。