コードギアスR2 『過去からの刺客』までから見るルルーシュの内面。

ルルーシュランペルージという人格を考える上で欠かせない要因とは何だろうか。
第一期において、それは妹であるナナリーであるように見えたし、そういう意味で最終話での彼の行動は、視聴者から見ても理解可能なものだった。
しかし第二期で、彼はナナリーと決別し、「日常」という新しい目標とともに新しい道を歩み始める。これが私には理解できなかったし、ネット上を見回しても、ルルーシュのロジックに違和感を覚えた人は少なくなかったようだ。
その理由は、ルルーシュはナナリーのためにこそ安穏な「日常」を捨てゼロになったのではなかったかということ。そして「日常」ブリタニア帝国の支配の下に成立している以上、その最大の脅威はルルーシュ自身であること。この二つの矛盾であると言えるだろう。
この矛盾を破綻無く解消するためには、ルルーシュの中における「父親」の存在を考えることが重要だと主張しながら、先日の記事はグダグダで馬鹿丸出しの内容なった。*1
しかし、『過去からの刺客』の回からも、ルルーシュの動機の根源に「父親」が存在することは明らかであり、いま一度そこを核にルルーシュという人物を見てみたい。

「もう何も失いたくないんだ。」という言葉の意味するもの

今回、ビルの屋上から落ちかけたシャーリーに向かって語られた上記のセリフは、ルルーシュの心情を素直に表現したものだろう。だからこそ争えば争うほど失うと知りながら、戦うことを止めないルルーシュの行動は、一見すると理解不能ですらある。
だが逆に後半においてのジェレミア卿との会話は理解しやすい。ここでルルーシュは「もう(皇帝のせいで)何も失いたくないんだ。」という意味のことを語っているからだ。
前半と後半で語られた動機は明らかに違うレベルのものだ。だが先に挙げた矛盾から斟酌するに、ルルーシュの中では両者の区別は存在しないのではないかと私は考えている。何故そうなのか、答えはルルーシュにとっての「父親」の中にある。

観念としての「父」

ルルーシュにとっての原風景は間違いなく、母と別離し皇帝である父と袂を分かった、あの幼い日の一幕だろう。ここで注意しなければいけないのは、ルルーシュはマリアンヌの死の真相も知らなければ、父が本当に何もしなかったかを知るには幼すぎたということである。母の死に対する父の関与というのは、何処までも幼い日のルルーシュに刻まれたイメージに過ぎない。*2しかし、イメージであるからこそ、ルルーシュにとっての「父」は彼から全てを奪う存在となりうるのだ。
そうでなければナナリーの望みに反してまで、ルルーシュブリタニアとの戦争を続行できないだろう。全ての元凶たる「父」の打倒こそ、ルルーシュの世界におけるナナリーすらも越える絶対の価値なのである。*3

ルルーシュの生きる「世界」

この価値観から導き出されるルルーシュの内面世界は、独りよがりで自己陶酔の色を持った歪んだものならざるえない。世界の最上位を成すのは、奪われる自分であり、その対偶としての奪う父である。そして、その他の全てが下部構造を形成する。
もちろんナナリーは下部構造の最上位にはいるだろうが、ルルーシュと並べる存在としては観念されていない。これは、ルルーシュの望みが、基本的に自分を含んでいないことからも証明されるだろう。あるいは、作中で何度も登場するチェス盤もまた、ルルーシュの歪んだ世界観を表現していると言える。
シャーリーの指摘通り、ルルーシュは何処までも孤独である。対等と観念される父が敵だからではなく、そういう形でしか世界との繋がりを考えられない人間は、たとえどんな幸福に包まれたとしても、それを真に自らのもの出来ないからだ。あるいはシャーリーとの別の「世界」もあったかもしれない。だがそれを否定したのもルルーシュなのだ。

シャーリーは何故死ななければならなかったのか

結論から言えば、ルルーシュの出した答えが間違いだったからだ。と私は思っている。

俺が、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだからだ。

ジェレミア卿に反逆の理由を問われてルルーシュはそう答える。
私はそのセリフと後のフラッシュバックを見た瞬間に、シャーリー死んだなと思った。
彼の覇道のために流された血、積み上げらた犠牲を知りながら、シャーリーの父を、ユフィを、あるいは大切な日常を想起するのでもなく、ルルーシュは自らを被害者の場所に座らせる「物語」を選んで恥じることがない。今になってなお、世界は彼にとって父と子のチェスゲームの舞台に過ぎないのだ。
もちろん、ルルーシュの罪をシャーリーが償う因果などありはしない。だがもし、あの問いに別の答えを返せる人間でルルーシュがあったのなら、こんな悲劇は生まれなかったのではないか。私はそう思わずにはいれない。

ルルーシュに残された道

赦すことなしには、全ては始まるまい。父を赦し、「世界」を放棄して、自らの責任を逃げることなく引き受けること。それが出来なければ、彼の手には何も残らないのではないかと思う。小説版の『時計仕掛けのオレンジ』みたいなEDだったら非難殺到なんだろうなぁ。
あと玉城さんの扱いが酷すぎて、逆に最後にオイシイところを持っていきそうな気がしてならない。

*1:原因は最悪ですが、出し惜しみ・怠け・飽き。なら記事書くなという話なわけで、一年の最後の記事が一年でワーストです。

*2:解釈からすれば暗殺者の手の及ばない日本へ、二人を送ったのだと考えることもできる。

*3:帝国の力が及ぶ以上は、ナナリーや「日常」は絶対に奪われるから、守るために戦うしかない。という論法。