徒然と、『とある魔術の禁書目録』のアニメ化に思うこと。

立て込んだり、暗くなるニュースがあったりで、どうもテンションが未だに上がらなかったりはしますが、こういう時は思いつきを侭に書くに限ります。まあ、私は完璧にラノベ読みとしては一線を退いてるので、近頃の若いもんは的な話を一つ。
私の巡回先が狭いということもあって自分と同じ意見を見なかったので書いてみるんですが、『とある魔術の禁書目録』って途中で明らかに作品の性質が変化してるわけだけど、アニメ化する場合はやっぱり変化後準拠なんですかね。主人公の記憶のくだりとか丸々カットなんでしょうか。
まあ、変化前が特別に異彩を放ってたわけではないんだけど、あれはあれで上遠野→西尾ラインを受け継ぐ順当な作風だっただけに、ブギーポップで青春を過ごした世代としては、あの路線変更には思うところがあったりするわけですよ。
第二の上遠野浩平が出てこなかったと言えばそれまでだけど、ライトノベルのメインストリームは、いつの間にかジュブナイル的な明るい色調に変わってしまっていて、それが実に不思議ではあります。
それほど世界の展望が明るくなったとも思えないんだけど、むしろ暗くなる一方な気すらもするんだけど、何がそれを支えているんだろうか。
日常と非日常を表裏すると学園異能的な想像力は、そうでありながら緊張感という面においてエロゲーの日常パート並みのゆるさを許容できる。セカイなんてもはやなくて、関係性の中から生じる有耶無耶な何かがあるだけなのか。クロウリーがセカイを表象し、幻想殺しがそれを砕くというなら、そこに現出するのはひぐらしのソレなんだろうか。
なんだろう、私もヲタなんで嫌いではないんだけど、ソレを人物に降ろしてくるのは拒否反応があるんですよ
ね。理想は理想のまま遠くにあればいいのであって、具現化するのは違うんだよなぁ。
そこら辺が一線に止まれなかった理由なんでしょうが、特にまとめる気もないので、ここで終わり。