日記を百日書いてみて。

これが百日目ということで、自分の書いた日記をざっと読み返してみたんですが、この日記を書いてるダメヲタと日常の自分がほとんど重ならなくて笑ってしまいました。
嘘を書いてるわけでもないし、常に卑屈であることを差し引いても思ったことを正直に書いてきたつもりなんだけど、やっぱ違うんだよね。
まあ、現実世界はうす汚れてるので、現世の垢を落として現れる本当の私は、この日記を書いてるような人物なのかもしれません。そう考えると、私の日常の八割以上は汚物で構成されてると見るのが妥当なんですが、どんなもんなんでしょうか。
どっちが大切かと言われれば、当然に汚れた八割なわけで、家族とか友達とか恋人とか、みんなそっちに属している以上、どんなに言葉で表しても、無情たる物語と永遠の遊を結ぶなんて、私には出来ない相談な訳です。
だけど逆説になりますが、それが私の物語に対する思慕の原点だと強く感じたりもします。
大槍さんがコラムで「人生には楽園が必要だ」と西田敏行風のことを書いてたんですが、まさにその通りで、決して届かぬからこそ、物語は最高に魅力的なのであり、汚れた人間に出来るのは不可能を甘んじて受け入れ、その上で叶わぬ夢と本気で遊ぶことくらいなのかなと思ったりするんですよね。



この記事が何かというと、うちのサイトの名前の説明です。もちろん元ネタは李白ですが、だいたい上のようなことを考えつつ、付けた名前なので、百日目記念に恥は掻き捨ての精神で書いておこうと思った次第。
後で読んで耐えられなくなったら適宜修正します。