ざらっとね

休日を思うままに出来ない人付き合いの悲しさ。
とは言え、予告した以上は『終わりのクロニクル(1)』について少し思ったことを書いておきましょう。計画としてはセルフでツッコミ入れたいから対話編形式にしたいとは思ってるですが、試しで別の方式に。
タイトルに絡んで最初から提起される問題として、著者自身がどの程度、進化史的な一方通行の歴史観念と融和を示しているのかがある。直列的な世界観は一見すると、一方通行性を肯定しがちにも感じられるが、川上稔の都市シリーズは内容として、ある種の循環的な歴史観が頻出する。
クロニクルという言葉は、一方通行な歴史観を象徴する単語であると言ってもいいのだが、読み始めれば序章から年代記的な秩序が崩壊している以上、自覚的な遊びなのかもしれない。ここら辺から全体の総括の道が開ける可能性もありそうではある。
設定という面から見ると、それなりに典型的な学園異能の一種から始まっている。日常と非日常があり、その間に学校が挟まるという形式は、シャナでもギアスでも珍しくはない。が結果を先取りするなら、その方向では失敗している。その理由を深く考えると、川上稔がメジャーになれない理由が分かりそう。
帰る場所としての日常。翻ってその暴力性に、川上稔はあまり興味が無いように思える。むしろ、もっと観念的な不安が物語の中心に座している。それは世界あるいは歴史に関する不安なのかもしれない。
もう一回読み直して、今度こそ対話編を。あとこの記事に書いてある考察の需要が星空めておの型月カンバックで発生しそうなので、そのうち書きます。信者として、先見の明をちょっと自慢したかったんだよね。