BLACK BLOOD BROTHERS

『都市の歩き方』が来ないので、今となっては数少ない追いかけてる作品の話を少し。
八巻目にして第三部の突入し、クライマックスに向けて盛り上がっていくのは疑いない本作。その面白さを称えるのは簡単ですが、この日記は私が賢しらぶって、大して役に立たないこと、偉そうに書き散らさないと始まりません。というわけでいきます。
『BBB』という作品を語ろうとする時、すぐに目に止まるのは「調停員」と「吸血鬼」という言葉だろう。
野暮な見方をすれば、前者を「9・11」後の一連の流れと後者は『月姫』との関係を指摘するのは容易ではある。
前者は「これだから平和ボケした日本人は」という類の意見もあるんだろうが、別段に特筆することではない。他にも豪王が皆殺しに転じるあたりとか、理由も含めて分かりやすくはある。
まあ、一般人でもショックを受けるのだから、作家に到っては、考えるまでも無いだろう。すぐに思いつくのは『終わりのクロニクル』だが、他にも影響を指摘できる作品は多々あるはずだ。
後者について言えば、あざの耕平奈須きのこの蒔いた種を最も豊かに実らせた作家ではないかと思っている。別に「真祖」という言葉尻を捉えているのではない。
その部分で奈須が再提唱したのは端的に言えば「吸血鬼ってシステムだよね。」という思考に尽きる。以前にもあるにはあったんだろうが、奈須ほどの苛烈さは存在しなかったように思う。*1
この思考を受けて、あざの耕平が開いたのは、広く深く汎用性のある優れた吸血鬼システムであり、これだけでも一読の価値は十分ある。
そのシステムの中で一番目新しいのは、やはり「九龍の血統」という概念だろう。*2ご存知のように、普通の吸血鬼達と九龍の血統は対立関係にある。そして人間と吸血鬼も対立関係にあって、裏の裏は表という様に、普通の人間にとって吸血鬼と言えば、むしろ九龍の血統の方であるという捻れた構造が、この物語の基本的な骨子なのだ。
この捻れの解消と物語の終わりが事実上不可分であるところに、あざの耕平の高い構成力が窺える。
あとは九龍の血統の背負う、難民を思わせるマイノリティーさと存在自体が体制側に忌まれる性質も興味深い。前作である『Dクラッカーズ』の彼らは全員が選んでそこにいたが、今作の彼らは個々に違いがある。その辺りをどう調停するかが、著者のこれからの腕の見せ所ではあるだろう。続きが待ち遠しいですね。
未読の人は読んで損は無い作品だと思います。秋の夜長にいかがでしょうか。

*1:印象としては、システムとしての側面が、吸血鬼の貴族的な気質に隠されてた感じ。

*2:いちよう説明すると、この世界観では、普通の吸血鬼は自分の血を飲ませることで眷属を増やすが、九龍の血統だけは血を飲んだ相手を眷属にする。