セカイ系を考える難しさ。

セカイ系とは何ぞや?という問いに作品中で答えを出した作家はほとんどいないだろうと推定するのですが、私が読んだ中で言えば、あざの耕平『Dクラッカーズ』ぐらいなものです。
ライトノベルティーン向けの作品であると定義するなら、この作品で出された解答を否定することは困難だろうと思います。引用するなら

現実と向き合う過程で生じる、自分と世界との軋轢。ささやかなーーーしかし、当人にすれば、この世の終わりにも匹敵する大問題を前にしたとき、カプセルや『アロマ』*1は、頭の固い大人たちには用意できない解答を提示してくれる。

この文章自体は、シリーズ完結後に出た番外編のものなんですが、著者の考えを端的に表してるんじゃないかな。番外編の副題なんて「世界-after kingdom」とまんまな感じですしね。
けど私は、別系統のセカイ系発想の源泉というものがあると考えていて、そっちに興味があるんですよ。それを真面目に考えてみるかと思ったら、見事に今まで避けていた穴に嵌ってしまった。
Aというものを考える時に、その対立項であるBという事柄から迫るという思考方式を人間はよく使うわけですけど、今回の場合、「セカイ」の対立項は「世界」でしかありえないわけです。この二つの間に対応関係について真剣に考えると、話が現実方面に重くなるから、避けてたんだけど、やっぱり考え始めると面白いテーマだし、同時に凄く重い話でもあります。
指摘を受けたので補足すると、現実の世界と作品における世界の区別が用語として付いていないのは、故意にやってます。何故かと言えば、私は現実にもセカイはあると思っているから。
というわけで、出来ることなら何回かに分けて、セカイ系についての小話を出来たらいいですね。次回があるなら、セカイにおける「学校」は世界において何と対応するのか。
けど実際の問題として、日本における「社会」って何なんだろう。選挙だって言われたらどうしよう。ポニョみるかポニョ。

*1:セカイ系アイテムと思ってくれればいいです。