この夏、一番面食らったこと

『ドラクリウス』という作品があります。吸血鬼もので、バトルあって、特殊能力と銃も出てくるよ。という型月とニトロを足して8で割ったみたいなテキスト系のエロゲーです。
先に言ってしまえば、私はこの物語を全く評価していません。
別にストーリーの質の話をしているわけではなく、本筋のEDに評価を根本的に不可能にする仕掛けがあるんですよ。
一応ネタバレだから伏せますが、物語が登場人物の一人が書いたライトノベルであることが明らかになる。まあ、定番と言えば定番なんだけど、少し面食らってしまいました。読者心理を巧みについた部分もさることながら*1、ここまで完璧に物語を放棄した作品も、中々見ないと思ったからです。
率直に言うと、このエロゲーどうにもダメな部分が多くて、クライマックスの展開とか、公式HPで掲げられているテーマへの回答とか、物語として練りこみが足りてない印象を拭えないんですが、そういう部分をキャラクター性とかライトノベルに責任転化してしまう。
こちらがいくら真面目に評価しても、「ネタにマジレス乙」という一言で退けられてしまう訳です。
けど、この評価からの逃げ方は凄く諸刃の剣ですよね。だって、何処まで行ってネタに過ぎない作品に製作者サイドは、心血を注いだことになるわけですよ。
他人に貶されるくらいなら、自分で下卑する心理は理解できなくはないけど、ちょっと凄いなと思った訳です。
だけど一番面食らったのは「ああ、ラノベってエロゲーに馬鹿にされるんだ。」ということですね。分からなくもない感覚なんだけど、改めて明確に表現されると困惑してしまった。
つまり、ライトノベルというカテゴリーが含んでいる負の側面への了解が、一種の記号性を持ち始めてることを指摘された時に、肯定することも否定することも出来ない自分を発見したわけです。
今思えば、『このライトノベルがすごい』が最初に発行された時、ライトノベルはジャンキーでは無いという類の言葉が最初に書いてあったのは、こういう状況を危惧した部分があったのかもしれない。
あの時、ラノベ読みの中には私も含めて「いや、ラノベはジャンキーで問題ない。」という感想を抱いた人が、それなりに存在した気がします。
その本意というのは、ライトノベルウェンディーズだとするなら、大衆文学はマクドナルド、SFはバーガーキング、純文学は百歩譲ってモスバーガー的な認識だったと思う。*2
けど現在をふと見回した時、ラノベという言葉につきまとう負の何かは、ジャンキー性の付近にある何かなわけで。
過去の自分に石を投げられた気分。そのうち投げ返すつもりだけど。

*1:実際の話、まあラノベとして見れば、そこまで貶すことも、と思いながら自分は最後の方をプレイしてた。

*2:少なくとも私にとっはてそうだった。